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私の戦闘力は53万マイクロです

農夫のおっちゃんの10分の1程度の戦闘力で適当に生きる、意識低い系サラリーマンのブログ

批判と中傷の違いについて考えてみる

こんにちは、意識低い系サラリーマンのKENです。

 

最近はてな界隈でちょっとした揉め事がおきていました。まあ、揉め事自体はいつものことですけど。

 

azanaerunawano5to4.hatenablog.com

 

超ざっくりと解説するとこんな感じ。

Yoshiki (id:ysk_wtnb)さん「飲みの席でプロブロガー目指すっていったら上司に説教された!」

id:piza10hizaさん「それは上司の優しさだよゴミ!」

Yoshikiさん「アンチのネットイナゴwwww」

piza10hizaさん「アンチじゃねーし!もっと丁寧に教えてやるよ!」

Yoshikiさん「ブロガーは批判されてなんぼ」

あざなえさん「Yoshikiもちつけ。批判は真摯に受けとめろ」

 

おおそよこんな感じ。ちょっとハショりすぎたかもしれないけど、詳細な経緯はあざなえさんの上記記事にお任せするとして、今回は批判と中傷の違いについて考えてみます。

 

 「批判」と「中傷」は別物、これは間違いない

 考えてみますとか言いましたが、考えるまでも無く、「批判」と「中傷」は別物です。一応ググってみました。

 

批判(ヒハン)とは - コトバンク

人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」

 3種類の意味がありましたが、今回の件にあいそうなのをチョイス。

 

中傷(チュウショウ)とは - コトバンク

根拠のないことを言いふらして、他人の名誉を傷つけること 

 

批判は常に真摯に受け止めなくてはいけないのか?

あざなわさんは、上記記事で以下のようにおっしゃっていました。

ブログって不特定多数に書いてる以上、批判はされるのが当然。
10人しか読まないならみんな褒めてくれるかもしれないが、100人なら数人は批判してくるし、数万人なら多くに批判されるのも当たり前。
どんなに書いたところで、意見をすべては網羅できないし必ずこぼれ落ちる。

だから批判に対し「批判してくることが間違ってる」という批判をするひとの額には、ブーメランがぶっ刺さってるのがいつものこと。

ましてや批判を受けても仕方ないことを書いて公開しておいて、丁寧な批判が来たからって批判を批判して中身もろくに読まずにアンチ呼ばわりして処理しようなんてのは、意味がわからないし、誰の得になるんだろうか。
打ち手は自分の利になるならまだしも、打っても打っても自分の不利益になる打ち筋ってなあに。

 

不特定多数に向けて書いているのならば、批判が来るのも当たり前。批判を無視するんじゃなくて、きちんと受け止めないと!ってことだと思います。
これに関しては異論はありません。それができるのが理想だし、大人の態度ってもんだと思います。

 

でも、「批判」の体裁が整っていれば、つまり中身のある「批判」であれば、常に真摯に受け止めなくてはいけないのか?と問われれば、まあ受け止めるにこしたことはないんだろうけど、なかなかそれができないことってありますよね。

 

たとえば、例に挙げたpiza10hizaさんの批判記事はタイトルも本文も攻撃的な言葉や挑発的な表現が並んでおり、一見とてもまともな「批判」とは思えません。

Yoshikiさんがどこまで批判記事に目を通したかはわかりませんが、そもそもタイトルに「ゴミ」と入っている時点で「あ、こりゃただの中傷記事だわw」と判断してまともに取り合う気がなくなったとしても、無理からぬことかと。

 

 

攻撃的な「批判」は相手の心には届きにくい

そもそも「批判」とは、間違いを指摘し正すことが目的のはず。ケンカ腰な態度で批判すれば相手も反感を抱き、批判に耳を傾けない心境になることだってあります。少なくとも、不愉快な気分にはなるでしょう。

 

「相手がどう感じようと、批判に耳を傾けようと傾けまいと知ったことか!俺は俺のやりたいように批判するのだ!」

 

ということであれば、まあ、話はわかります。
でも、こういう態度での「批判」って「中傷」と何が違うんですかね?

 

「中傷」と定義づけるポイントは2つ。「根拠の無いこと」と「相手の名誉を傷つけること」です。これを言いふらすと「中傷」になります。


ゴミだのトンチキだの汚い言葉を使って誰もが閲覧できるブログで言いふらしている以上、少なくとも2つ目のポイントは満たしていますよね?

問題は1つ目のポイントですが、中身のある批判であれば「根拠の無いこと」というポイントは一見外れているようにも感じますが、上で述べたように、そもそも攻撃的な言葉は相手の心に届きにくいのです。第三者の読み手だって、記事タイトルから中傷っぽい匂いを感じたら、読まないかもしれません。せっかく丁寧な根拠を説明してあっても、相手がそれをまともに読んでくれなかったら意味が無いですよね?

つまり、少なくとも批判されている側にとっては「ただの中傷」と映る可能性が高いということです。そりゃ、相手の批判をまともに聞かないことの責任はあるのかもしれませんが、最初に汚い言葉を使ってケンカ腰に「批判」した側にはまったく責任がないんでしょうかね?僕にはとてもそうは思えませんが。

 

 

「批判」するのに攻撃的な言葉は必要ない

そもそも、何かを批判するのに、汚い言葉を使ったり、攻撃的な表現を使ったり、相手を挑発する必要なんて全くないのです。別に温かみのある優しい言葉で批判しろ、なんていってるわけではなく、大人として最低限の節度のある言葉を使いましょう、というだけのことです。

 

この「批判」記事に対し、あざなわさん始め、ブコメとかでも「これは優しい批判」「相手のことをよく考えている」などといった評価が散見されましたが、とてもそうは思えません。少なくとも、相手のことを考えているのであれば、記事タイトルでケンカを売る必然性がゼロだし。ケンカを売りたいなら話は別ですけどね。

 

もし仮に、本当に真摯に相手の間違いを正したい、というのであれば、こんなケンカ腰の批判はいかにも筋が悪い。「先手番で初手8六歩」くらい筋が悪いです。

 

まあ、もちろん僕も、清廉潔癖な人間というわけでもないので、「じゃ、お前はいままで一度も攻撃的な批判をしたことが無いのか?」と聞かれれば即時「No」とこたえますけどね。自分への戒めもこめてこの記事を書きました。

 

 

 

今回はこのあたりで。

 

 

【関連しない記事】

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