私の戦闘力は53万マイクロです

農夫のおっちゃんの10分の1程度の戦闘力で適当に生きる、意識低い系サラリーマンのブログ

人の親だからと言って偉いわけではないけど、せめて子どもの目には偉い親として映りたい

自分がその立場になってからつくづく思いますが、人の親になったからといって別にいきなり立派な人間になれるわけじゃないんですよね。子ども時代からの延長線上に今の自分がいるわけで、子どもに比べてほんの少し多く経験を積んでいると言うだけ。

それでも、子どもの目には「偉い親」に映りたいものです。別に威張り散らすとかではなく、信頼できる親として・・・

 

親への信頼と感謝

僕は自分の両親に心から感謝しています。そりゃ、日常レベルの細かいことを挙げていけば不満も多々ありますが、親から精一杯の愛情を受けて育ったという自覚があるからです。

僕は子どもの頃は親に全幅の信頼を寄せていました。悪く言えば甘えていたのかもしれませんが、僕にとってある意味で親は絶対的な存在だったのです。もちろん親だからと言って全知全能であるはずありませんが(自分が親の立場になってから嫌と言うほど実感しました)、自分が悪いことをしたときは心から叱ってくれる、自分が何か頑張ったときは心から褒めてくれる。そんな当たり前のことを当たり前にしてくれる存在。よくよく考えればこれほど貴重な存在もありません。

僕はよく妻から「逆境に強い」と評されます。多少の困難があってもへこたれないと。それが的を射ているか、あるいは過大評価かはわかりませんが、妻曰く「KENちゃんは親から愛情たっぷりに育てられてるから、人格のコアの部分で自分自身に対する揺るがない自信を持っていられるんだよ。それはとても大事なことだと思う」と言われました。確かにそうなのかもしれません。

 

万能の人間になんてなれはしないけど、親から受けたものは子へと受け渡したい

もし「1分以内に自分の欠点をできるかぎり挙げろ」と言われれば、僕は相当数挙げることができます。欠点だらけの人間です。

それでも、自分の子どもにとっては、心から信頼できる永遠の味方でありたいものです。自分が親から受けた愛情を、今度は自分の子どもに与える番です。

 

最近、こんな気になる記事を読みました。

www.fair-skinned-monster.com

 

実は娘と〇〇ちゃんが仲が悪くなったのはわたしの責任なのだ。

たまたま通りかかったお店の前で娘と〇〇ちゃんが居るのを見つけた。そのお店は学校から出入り禁止になっているお店でわたしは娘を店から引っ張り出してその場で叱った。

どうやらそのことが〇〇ちゃんは気にらなかったようで、それ以来、娘を無視するようになったようだ。
(中略)

このことを思い出すたびに、親としてはその場で叱ったことの後悔と、葉書きを娘が読まなくて良かったということで複雑な心境が沸いてくる。

 

ブログ主の色白おばけ (id:lightgauge)さんは、「自分が下手なタイミングで叱ったばかりに、娘を傷つけてしまった」と後悔されています。

たしかにそれが原因でお子さんが友達との関係を悪くしてしまったのかもしれません。しかし、万能ならざる僕ら人間が、そうそう完璧になど振舞えません。「ああしていればこうしていれば」というのは結果論だから言える事です。もちろん反省は必要かもしれませんが、必要以上に悔いていても始まりません。

僕は上の事例では、叱らないよりは叱って正解だったと思います。それによって友達との関係が悪くなった事実以上に、「叱るべき時に叱らなかった親」という事実のほうが、後々大きな禍根になるのでは無いでしょうか。

子どもとは親が考えている以上に賢く多感なものです。普段から色白おばけさんが心からお子さんのことを考えて叱ったり褒めたりしていることは、必ずお子さんにも本能的な部分で伝わっています。それはお子さんの将来にとってきっとかけがえのない財産になるはずです。

 

僕も、子どもに対し叱るべき時はきちっと叱り、褒めるべきときはきちっと褒める。これを徹底したいと思います。もちろん空気を読むことは大事かもしれませんが、それ以上に、子どもにとって何が大事なのか、何が子どもの幸せなのか。これを常に考え続けていきたいです。