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仕事を生きがいにしている人たちに感じる、畏怖と尊敬と感謝

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人間の想像力なんてものには限度があるので、自分と異なる価値観や生きかたをしている人がいるという事実に「まあ価値観なんて人それぞれだから、そういう人もいるんだろうな」とは思いつつも、心の奥底では「本当?本気でそれ思ってんの?」なんて感じるときもあります。似たような経験はは大なり小なりみんなあるんじゃないでしょうか?

僕が「理解できない」と感じるのは、「仕事を生きがいにしている」人たちです。

 

畏怖と尊敬

例えば「仕事に熱中するが余り子どもを持てる気がしない」という下記記事について。

仕事に熱中したい人は子どもを持てない - 接客業はつらいよ! あけすけビッチかんどー日記!

 

人生のリソースのほとんどを仕事に割り振る、という人が世間にいることも知ってますし、それだけ情熱を注げるだけの仕事を持てるということを尊敬します。ただ、それと同時にそこはかとない怖れも抱いてしまいます。「怖れ」という表現が適切かどうかはわかりませんが、人間自分の理解の及ばないものには本能的に怖れを抱いてしまう生き物なのかもしれません。

サラリーマンなら言うに及ばず、経営者やフリーランスの人であっても、結局「働く」ということは自分の時間を売る行為に他なりません。人生における「時間」と言う名のリソースは有限なので、僕にとって仕事と言うものは僕から家族との時間や趣味の時間を奪う敵のようなものです。少しでも働く時間を最小化し、趣味などの時間を最大化したいのです。

ただ、そう感じるのは僕が仕事できない系の人だからであって、仕事できる系の人は仕事が楽しくてたまらないのかもしれません。いままでもそしてこれからも多分僕には理解できない感情なんだろうなと思います。

 

感謝

ちょっと皮肉っぽく書いてしまったかもしれませんが、僕は世の中の仕事大好きないわゆる「意識の高い人」に感謝しています。というか、そもそも世の中の人間すべてが僕のようなだらだらした意識低い人間では、社会は回っていきません。漫画「ドラえもん」の中でも、ドラえもんからのび太にむけてそんなセリフがあったような(世界中の人間が君のレベルに落ちたら、世界の終わりだぞ!みたいな)。

僕のようなやる気もスキルもない人間が、それでものらりくらりと面白おかしく暮らせていけるのは、仕事に情熱を燃やしている人たちが社会を回してくれているおかげなのです。そう考えると、どれだけ感謝してもしきれません。


アスキーアートで表現するとこんな感じです↓

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【2017.01.23】
仕事憎しの余り不適切な表現がありましたので、修正しました。

 

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