「つらい」ときに、その気持ちを「面白くなってきたじゃねーの」と言い換えると捗る、という記事を読みました。
一見少年漫画チックで面白い発想なんですが、これは考えようによっては結構危険な行動だと思うんですよね。
「つらい」という気持ちは心のSOS
何をもって「つらい」と思うか、どの程度のラインから「つらい」と感じるかは人によって千差万別なのは重々承知ですが・・・それでもあえて言いたいのは、心が「つらい」というメッセージを送ってきたら、それに素直に従ったほうがいいのではないか、ということです。
冒頭に記事に対し、僕はこうコメントしました。
「つらい」を「面白くなってきたじゃねーの」に言い換えると捗る説は本当だった - りずろぐ。
自分に嘘をつきたくないです
2017/05/19 08:22
確かに「つらい」を「面白くなってきたじゃねーの」と言い換えると、モチベーションが上がったり前向きになったりすることはあるのかもしれません。そのときの脳内メカニズムがどうなっているのか、専門外なのでわかりませんが、でもそれってようするに一種の暗示というか自分を騙しているだけって気がするんですよね。
どうしても頑張らないといけない踏ん張りどころで、その手法で一時的に奮起するのはありとしても・・・多用すると危険なんじゃないでしょうか。心が「つらい」という形でSOSを投げているわけですから、そのメッセージをあまり軽々しく扱わないほうがいいんじゃないかと。
心や身体が不調なときは、休ませてあげないといけない
風邪引いたときに風邪薬で無理やり症状を押さえ込んで仕事をがんばったとします。そのときは気力でなんとかなっても、後々ガクっと来る、というのは良くある話です。風邪薬はあくまで症状が一時的に出ないようにするだけで、風邪の根本治療ではありませんし、無理をすればいずれは身体に跳ね返ってくるものです。
身体的不調と違って精神的不調は目に見えない分わかりづらいですが、同じことが言えると思います。本当につらいときは、無理やり自分を誤魔化してその場を乗り切っても、いずれはそのツケが返ってきます。
心も身体も無理をせず大人しく休ませてあげることこそ、長期的に考えると肝要なのかと。