探偵が現場に足を運ばずに純粋な推理だけで事件を解決する、いわゆる安楽椅子探偵の代表的な作品の1つ「九マイルは遠すぎる」(ハリィ・ケメルマン著)を読みました。
感想をつらつら書きます。
推理ではなく推論を楽しむ小説
「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ」
語り部の「わたし」が口にした何気ない言葉を元に、探偵役ニコラス・ウェルト(通称ニッキィ)が推論を繰り広げて最終的に殺人事件を解決する表題作「九マイルは遠すぎる」を皮切りに、ニッキィは人づてに聞いた情報のみを頼りに(たまに犯人本人から話を聞いてる時もありますが)次々と事件を解決していきます。
読んでて正直、「いや、さすがにこんな都合よく推論が当たったりしないだろう」と思わなくもなかったですが、まあそこはフィクションなので多少のご都合主義は致し方ないところ。
そもそも発端は、
「推論というものは、理屈に合っていても真実ではないことがある」
のを、他ならぬニッキィが言い出して始まったのです。この考え方には僕も大いに同意で、「世の中、筋が通るだけの理屈なら山ほどある」と常々思っています。
しかしながら、「筋の通った理屈」を組み立てるというのもなかなか一筋縄ではいかないのも事実。ニッキィの生み出す「筋の通った理屈」は面白いようにするすると真実を言い当て難事件を解決してしまいますが、それは言わば副産物とも言うべきもの。
この小説は推理によって事件を解決する醍醐味を味わうというより、「この限られた情報だけで、こんなにも推論を展開することが可能なのか!?」と、ニッキィの非凡な推論組み立て能力を楽しむ物語だと思っています。
ニッキィという愛すべきキャラ
短編集と言うものは往々にしてキャラ立ちの弱い小説が多い印象です。ページ数との兼ね合いであっさりした話が多くなりがちなので、仕方ないところではありますが。
しかし、本小説「九マイルは遠すぎる」の主人公ニッキィは違います。なかなかどうして、良い味出してます。
- 他人を見下し勝ち(少なくとも周りからはそう受け取られることもある)
- 皮肉屋
- 嫌味なところがある
などなど、ニッキィは決して誰からも好かれる善人というわけではありません。もちろん、悪人と言うわけでもないですけど。
一癖も二癖もある食えない男、それがニッキィであり、また大抵の探偵小説やドラマの主人公は多かれ少なかれそんなところがあります。しかし、何故かそんなニッキィの周りにはそれなりに人が集まり、気が付くと話の中心に居座ります。
それはニッキィの類まれなる推論能力に惹かれて、ということもありますが、
- 推論に挑むときの嬉々とした態度
- チェスに負けると途端に言い訳ばかり並べる
といった、ニッキィの人間臭さの成せる業と言えるかもしれません。語り部の「わたし」が何やかんやと文句を言いながらもニッキィと親友づきあいを止めないのも、ニッキィのこういう人間臭さが好きだからだと思います。
僕もこの本の中盤あたりからはすっかりニッキィという愛すべきキャラの虜になってしまい、読み終えるのを寂しく感じました。もっともっとニッキィの織り成す推論物語を読んでみたいというのが正直なところですが、ニッキィ・シリーズはこの本一冊限りなのが悲しいです。