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便利すぎる生活が自分達の首を絞めているのかもしれない

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日本社会の過剰とも言えるサービスの質と量に苦しむ人たち。

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「今日受け取るのは、諦めよう」

 会社から女性の自宅マンションまでは約1時間。昨日ネットで注文した10キロの米の配達を、今日の「午後8-9時」と時間を指定して依頼していた。でも、仕事が終わらない。夫も帰宅は遅くなるという。

「明日の朝食はパンにしよう。お米は再配達してもらえばいい」

 数年前までは買い置きしていたトイレットペーパーや米、水などを、最近はなくなるギリギリのタイミングでネット注文するようになった。注文した翌日には間違いなく、早ければ当日にも商品が届くので、収納スペースの少ないマンション暮らしには大助かりだ。重いものは玄関の中まで運んでもらえるし、「午後8-9時」の指定にすると、9時ぎりぎりに来てくれるのもありがたい。受け取れなくたって、何度でも再配達を頼める。

「ネット通販を近所のスーパーのように利用していて、もう宅配なしの生活は成り立ちません」

 

 

日本のサービス業は世界トップクラスとも言われています。しかしそのサービスは本当に人々の生活を豊かにしているのでしょうか。ほとんどの人間は働かないと生きていけません。つまり、消費者であるとともに(製品やサービスの)生産者でもあるわけです。消費者の立場のときに過剰なサービスを追い求めれば、サービスを提供する側になったときの自分の首を絞めることにつながります。

 

「なにより、再配達と時間指定のサービスが配達を難しくしています」

 大手宅配会社の首都圏営業所勤務の配達員(61)はそう話す。

 時間指定があるために、効率のいいルートで回ることができない。一つの荷物を届けるために1時間近く道端で待機することもある。同僚は午後8時すぎまで待って配達したのに、

「仕事を終わらせて8時50分に帰宅したら、8時15分に不在票が入っていた。どうして9時に配達できないのか

 というクレームが届いた。再配達依頼の電話で、

「出かけるので今すぐ配達して」

「今日は午後4時から4時半の間に届けて」

 と細かい時間を指定されるのも、とてもきついという。

 

特にネット通販の発達により、配達業の最前線で働く人は過剰なサービスの供給を余儀なくされています。僕自身もAmazonにどっぷりつかった生活をしているので、他人事のように話す資格などありはしませんが。

かといって、いきなりネット通販を全く利用しない、というのもなかなか厳しいところ。せめて、

  1. 外に買いに行く暇が無い、近くの店に売っていない等、やむを得ない状況のとき以外はネット通販を利用しない。
  2. 配達予定時刻には可能な限り家にいるように努力する。
  3. 業者の定めたサービス内容以上のこと(≒クレーム)を要求しない。

といったことを意識しようと思います。特に3番などはもってのほかですね。

 

ネット通販に限った話でもなく、自分が客の立場のときは、自分がサービスを提供する側になった場合のことを考えて接したいものです。客は決して神様などではなく、金銭と品物orサービスを等価交換しているだけのことですから、そこは勘違いしないようにしたいですね。

 

みんなが便利な生活を少しだけ我慢すれば、もう少し生きやすい世の中になるのかもしれません。