施川 ユウキ氏の漫画「銀河の死なない子供たちへ」(上下巻)を読みました。ネタバレ含みつつ感想を書きます。
あらすじ
全てが終った星で、凸凹姉弟が、“永遠”を遊ぶ――。
とうに人類が滅亡した星で、
ラップを口ずさむのが大好きな天真爛漫な姉・πと、
いつも読書をしている内向的な弟・マッキは、
永遠の命による終わらない日々を過ごしていた。そんなある日、愛すべきものの終わりに直面した二人は……。
「手塚治虫文化賞」受賞作家が挑む、
不死の子供たちの果てしない日常と、
途方もない探求の旅――。
「銀河の死なない子供たちへ・上巻」のAmazon商品ページより引用
あらゆる瞬間がいとおしい。 地球で最後の家族愛。
このマンガがすごい! WEB(宝島社)
2017年11月オトコ編1位!不死の姉弟に育てられた少女ミラは、
一人だけ成長することに戸惑いながらも、幸福な時間を積み上げていく。
ある晩、姉弟の母親から二人の出自に関する秘密を明かされて…。最終章マッキ編(50ページ)描き下ろし収録!!
「銀河の死なない子供たちへ・下巻」のAmazon商品ページより引用
不死の少女「π」と不死の少年「マッキ」。永遠に尽きることのない命を持つ姉弟は、人類の滅亡した地球で終わらない日々を過ごす。そんな姉弟を優しく見守る謎の「母親」。
ずっと変わらない毎日が続くと思われていたある日、普通の人間の少女「ミラ」の登場により、姉弟と母親の運命に歪が生じることとなる。
生きるとは何か。
死ぬとは何か。
永遠の命と、限りある命。
不死の姉弟は、永遠の旅路の果てにどこに辿りつくのだろうか。
ミラを不死にしようとした「母親」の想い、拒絶したミラの想い
πとマッキと共に幸せな時間を積み重ねていたミラ。しかしミラは地球の汚染物質の影響(1万年経っても影響が消えない汚染物質というと、放射性物質でしょうか?)で十数年しか生きられない身体。そんなミラのことを憎んでいると言った「母親」。
憎しみの感情の正体には嫉妬のようなものもあったと思いますが、ミラによってπとマッキの死生観に変化が生じ、いずれ自分の元からいなくなってしまうかもしれない(不死の呪いから解き放たれるには、母親から遠く離れることが必要)、という怖れもあったのでしょう。
ミラに対して、単純ならざる思いを抱いていた母親ではありますが、可愛いπやマッキにとってミラは大事な「家族」。その身に何かあれば、2人の悲しみはとてつもなく深いものになる。そんな思いはさせたくない・・・そんな親心から、ミラを不死にして助けようとする母親。
「銀河の死なない子供たちへ」下巻より引用
しかし、ミラの答えは、
「嫌だ。私は人間として生きて、人間として死ぬ」
というもの。自ら死を選ぶことを自殺と表現するのならば、このミラの決断は自殺なのでしょうか?
そうではない気がします。
ミラは「生きることを拒絶した」わけではなく、「人間として死を受け入れようとしている」だけなのだから。
正直、僕は読んでいて「ミラ死なないで欲しい。母親の血を飲んで不死になって助かって欲しい」と思ってました。このままミラが死んでしまうのはあまりにも哀しい。
ミラも身体がどんどん悪くなっていく過程では死を怖れていたものの、最後は人間らしく死ぬことを望んでいました。理屈としてはミラの決断は理解できても、感情が納得いきませんでした。ミラは本当にそれでよかったのか、と。
以前僕は、ロバート・F・ヤングの短編小説「河を下る旅」の感想としてこう書きました。
「人間死ぬときは死ぬんだよ。仕方ない。」
といった具合に、死を怖れるでもなく、自然体で接しているような人がしばしばいます。僕はこういったタイプの人の発言をあまり信用していません。
別にその人が嘘つきだと言っているわけではなく、
「今はそう思っていても、いざ実際に死を目前にしたとき、その超然とした態度を保ち続けられるのかな?」
と思ってしまうのです。
死ぬのが怖くない人間なんているはずがない。みんな心の奥底では死を怖れているはずだ、そう考えていました。いえ、今でもそう思っています。
ミラとて、最後の瞬間、死が怖くなかったわけではないでしょう。ただ、それ以上に「永遠に生きる」ことが怖かった、ということでしょうか。身近に「π」と「マッキ」という不死の子どもたちと接していて、永遠に変わらずに生き続けることがどうしようもなく怖く感じていた・・・
そしてまた、πとマッキが「元人間」であることを知って、家族としての情愛を感じていた2人の不死の運命を思い、涙せずにはいられなかったのかもしれません。
「銀河の死なない子供たちへ」下巻より引用
何故母親は子どもたちの旅立ちを許可したのか?
「不死の呪いから解き放たれるには、母親から遠く離れること」
と、他ならぬ母親本人から教えてもらい、普通の人間に戻るため宇宙に旅立つことを決意するπ。
永遠の命を捨て、死を受け入れる旅。
母親があっさりとπとマッキの旅立ち(結局マッキは残り、旅立ったのはπだけでしたが・・・)を許可するところが共感しづらいところです。僕も二人の子どもを持つ父親ですが、生き別れなんて考えたくもありません。
しかも自分は地球で永遠に生きているのに、子どもたちは宇宙のどこかですぐに(長くてもせいぜい100年?)死んでしまうことはわかっているのです。子どもに先立たれた状態で永遠に生きながらえるなど、拷問のようなものではないでしょうか。
母親がπの旅立ちを認めたのは、ミラの死が関連していることは間違い無いでしょう。ミラを失ったことで、πは永遠に消えない悲しみを抱え込んでしまった。そんなπの悲しみを救済し癒すには「πをミラと同じように有限の命を持った人間にするしかない」、と。
母親はπとマッキを不死にしたこと(=人間としての死を奪ったこと)にずっと罪悪感を感じていましたが、ついにその負債を返すときが来たと覚悟を決めたように見えました。
地球に1人取り残されることを怖れていた母親。自分がひとりぼっちになるのを承知の上で、エゴを捨てて、子どもたちに人間らしい死を取り戻させて上げたいと考えたのでしょう。
ミラから「あなたは立派な母親なの?」と非難気味に言われていましたが、この点においては文句なしに立派な母親であったと言えるはずです。
π、マッキ、母親のそれぞれの未来
「銀河の死なない子供たちへ」下巻より引用
物語ラストで、マッキは母親をひとりぼっちにしないために地球に残ります。この結末はまだ自分の中では消化しきれていません。
不死を捨て、一人で宇宙に旅立つπ。無事居住可能な惑星まで行ける保証は無く、例え辿り着いても人間が住んでいるとは限らず、さらに住んでいたとしても受け入れてもらえるかもわからず・・・リスクだらけの旅程。それが生きるということ。
マッキは母親と2人で地球に住み続ける。変わらない日々。リスクの無い日々。永遠の命。
3人のそれぞれの未来に暖かな光があるのかどうか、この時点ではわかりません。でも、3人とも幸せに暮らして欲しい、そう願わずにはいられない読後感です。
図書館漫画「バーナード嬢曰く。」 が好きで、同作者のこの漫画を読みましたが・・・あまりの「話の重さ」の違いにびっくりしました(笑)
「銀河の死なない子供たちへ」とは雰囲気はかなり違いますが、不老不死のテーマを扱った漫画としては高橋留美子氏の「人魚シリーズ」(人魚の森/人魚の傷/夜叉の瞳)も面白いです。年月を経ても色褪せない不朽の名作です。