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私の戦闘力は53万マイクロです

農夫のおっちゃんの10分の1程度の戦闘力で適当に生きる、意識低い系サラリーマンのブログ

【適材適所】会社に人が合わせるのではなく、人に会社が合わせなくてはいけない時代

仕事・働き方・社畜

最近何かと話題になる「残業時間規制」ですが、仕事が遅くて残業しないとどうにもならないよ!という意見の記事を読みました。

syakkin-dama.hatenablog.com

そういう僕の処世術は「ロスタイムのフル活用」です。一日30分から1時間、管理職の目を盗んで職場に残り、電話の留守電ボタンをポチっと入れてからが僕の「やるぞー」タイムです。それが出来る職場なのが大変にありがたい。電話応対やメールの着信、ポケットの中でピコーンピコーン言うLINE、唐突に差し込まれる細かい仕事、そういう状態の中で集中力を出すということが僕には中々出来ません。

上記記事のブログ主は仕事ができない(少なくとも本人はそう思い込んでいる)から、残業してカバーしたいんだ!とのこと。多分すごく真面目で責任感の強い人なんだと思いますが、それって従業員側の努力によってカバーしなくてはいけないことなんでしょうか?もう少し言うと、従業員側が会社に合わせなくてはいけないことなんでしょうか?

 

人間の能力や適正なんてものは、それこそ千差万別。2人として同じ人間はいないのだから、みんながみんな杓子定規な働き方ができるわけではないと思うんですよね。そもそも本当に仕事ができないのかどうかってそんな簡単に判断できることでもない気がします。単にいまの仕事が向いていないだけ、という可能性も充分にあるわけで。

 

臨機応変に目の前のタスクを処理するのが得意な人間、長期的視野に立ってじっくりと考えて取り組むのが得意な人間、頭を使うのが得意な人間、身体を使うのが得意な人間、コミュニケーション能力に長けた人間・・・いろいろいるのは当たり前です。ならば、会社の側が従業員に合わせて多様な人材を許容できるようにすべきではないでしょうか?

 

「弊社には臨機応変に動けて長期的視野も持ってて頭が良くて体も丈夫でコミュニケーション能力に長けた人に来て欲しい」なんて贅沢もいいところ。そりゃそんな完璧超人みたいな人間がいればそれに越したことは無いでしょうし、就職氷河期のころであれば会社側の理屈でもって新卒の人間を会社の型にはめる、なんてことも行われていたかもしれません。

 

しかし、それは労働市場が買い手有利だった時代の話。いまは有効求人倍率は1倍を余裕で超える、売り手市場の時代なのです。そんなわがまま言っている会社は人手が足りずに立ち行かなくなり、従業員側に合わせて柔軟に対処できる会社こそがこれから生き残っていく、これからはそんな時代になっていく気がします。人材の選り好みができるような時代ではないのです。そんな都合の良い人間だけが欲しいのならば、それこそロボットやAIで置き換えたらという話にもなります。

 

僕個人の理想を言えば、ロボットやAIが労働者の大半に置き換わり、働く意欲と能力に溢れる人だけが仕事をし、他の人たちはベーシックインカムなどでのんびり過ごす、というのでもいいと思うんですけどね。何も仕事だけが人生の生きがいでもない、趣味なりなんなりに生きがいを見つける人生だって充分幸せを感じることは出来るはずです。

 

ただ、いまはまだその時代が到来していない、いわば過渡期なわけでして。であるならば、人間の側に無理をさせるのではなく、会社(あるいは社会)というシステムが人間に合わせるべきだと考えます。もちろん会社だけに責任を負わせるのも無茶な話なので、国はもっと自由な働き方をできるように法律面で後押しし、国民も仕事こそがすべて、という価値観を少しずつ変えていくべきだとは思います。

 

社会の仕組みが大きく変るときと言うのはあちらこちらで歪みも出るでしょうが、現状維持では国も企業も人間もジリ貧状態。少しずつ改革していくことこそ必要なのだと思います。