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発達障碍者に必要なのは、自己理解と周囲からの理解

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発達障害に関する記事を読みました。

cild.hatenablog.com

要するに、こちとら相当きびしい戦い強いられてるってことです。

それでも、人様の情(なさけ)なんか受けませんよ。他人様にすがって生きるなんざ、まっぴらご免です。

発達障害、いろいろ大変でしょうけど、越えて行きましょう。上等じゃないですか。理解されないなんて、泣き言はやめましょうよ。こっちには、こっちのやり方があるじゃないですか。

 

上記記事を書いたブロガー・チルドさんは、自身を発達障害だと疑っているとのこと。その上で、自分の力で道を切り開いていきたいから、発達障害を言い訳にしたくない、という趣旨に読み取りました。 

 

一方で、じゃあ、本人たちはどうなのという話です。僕が引っかかっていたのは、例えば、会社勤めになって、大事な会議に、肝心な資料を忘れたら困りますよね。「わりぃ、忘れた。オレ発達障害だから」では、解決しないと思うんですよ。

発達障害を言い訳にしていても何も解決しない、努力しよう、とのことですが、そもそも発達障碍者は何をどう努力すればいいのでしょうか?

 

発達障害は病気ではなく先天性の脳の機能障害です。どれほど本人が努力しても、障害そのものが治るわけではありません。ただ、自分の障害特性にあったリハビリや訓練をすることにより、障害によるハンディを軽減することはできます。

 

必ずしも適切な例えであるかは自信がありませんが、例えば、生まれつき左腕が無い人がいたとします。本人がいかに努力してもそれは変わることはありません。しかし、右腕だけで生活できるように訓練したり義手を利用したりしてハンディを軽減することは可能です。

 

適切なリハビリや訓練(幼少期には療育と言います)を行うためには、自分の障害について良く知る必要があります。発達障害と一言で言っても、自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群、注意欠陥多動性障害、学習障害など多岐に渡り、そもそも同じ自閉症であっても特徴は千差万別です。

 

僕自身、注意力散漫さや集中力の持続の短さに自覚があったため、大人の発達障害を疑い、医師に発達障害の検査を依頼しようとしたことがあります。そのときの医師の返答はこうでした。

 

「現在、社会生活を送る上で支障を感じていないのならば、無理に検査する必要は無い」

 

誰しも発達状況に凸凹はあります。その凸凹が社会生活を送る上で障害になるのであれば、発達障害と診断し、適切なリハビリとサポートが必要になります。そうでなければ、それは「強い個性」であり、無理になんとかするものでもないということです。発達障害がしばしば個性の1つと説明されるのはそういうわけです。

 

チルドさんがもし自身の特性によって社会生活に支障が出ていると感じているのであれば、きちんと診断してもらいリハビリをすることにより状況が改善する可能性があります。

 

もし支障を感じていない、あるいは自力でなんとかできる、ということであればそれは結構な話ですが、世の中の発達障害を抱えている人は必ずしもそういう人ばかりではありません。

 

自身の特性を知り、適切なリハビリ(これがチルド氏言うところの「努力」に当たるかと思います)を行ってなお、社会生活に困難を感じている人は大勢います。そういった場合、周囲からの理解とサポートは欠かせません。

 

精神障害は身体障害と違い、目に見えないからこそ周囲からもわかりづらい障害です。生きていく上で周囲の理解やサポートが必要ならば、声を出さないとなかなか気づいてもらえません。自分の努力だけではどうしようもないことがある、というのは定型発達者でも発達障碍者でも同じこと。ただその表れ方が違うだけです。

 

社会で生きる以上、大なり小なり支えあいは必要なのですから、生きづらさを感じている人は自分を責めず、周りに遠慮しすぎず、伝えるべきことはちゃんと伝えて適切な理解とサポートを受けるべきと考えます。 

 

参考
発達障害 - Wikipedia