こんにちは、意識低い系サラリーマンのKENです。
僕は自他共に認める面倒くさがり屋ですが、そんな面倒くさがり屋の自分が好きです。
面倒くさい、と思う行為は本来自分に必要の無いものなんじゃないだろうか?
面倒くさがり、というとあまり良いイメージないというか、悪いイメージのほうが強いかもしれませんが、僕は面倒くさがりって人生楽しく歩いていく上ではプラスになると思うんですよ。
面倒くさがりという性分を自己弁護するために、銀河英雄伝説の主人公ヤン・ウェンリーの「お酒はそろそろ終わりにしとけ」的なことを妻から言われたときのセリフを引用します。
酒を飲みたい、と思うのは体がそれを欲しているからなんだよ。だから酒を飲むのが体には一番良いことなのさ。
例によって細かい部分あまり自信ありませんが、だいたいこんな感じのセリフでした。これを面倒くさがり屋の自己弁護に無理やり結びつけると、
「面倒くさい、と思うことは本来自分には必要の無い行為だから、体が拒絶しているってことなんだよ。だから面倒くさいことは極力やらないほうがいいんだ。」
ってことにならないでしょうか?
ならないですか、そうですか。
僕もちょっと無理目かなと思いました。
なお、「面倒くさいと思う気持ちを大切にしたい」というタイトルからしてクソ下らないこの記事を書くことは面倒に思っていない模様。なるほど、どうやら駄文をブログに垂れ流すのは、僕の人生にとって必要なことらしい。
技術者は面倒くさがり屋のほうがいい
一応僕は技術者の端くれなのですが、面倒くさがり屋って技術者に向いてると思うんですよ。面倒くさい、と思う気持ちがあるからこそ、少しでも楽な方法を考えようとして、技術が発達していくのです。
「オタリーマン」、「理系の人々」などのコミックエッセイを書いているよしたにさんも、漫画の中で、
「理系が頭を使うのは、次から頭を使わなくても良いためにだ!」
って力説してました。まさにこれですよ。
面倒くさいと思うからこそ、楽をしたがる。楽をしようと思うからこそ、頭を使おうとするんですよ。面倒くさがり屋ばんざい。
これだけ面倒くさいを記事タイトルや本文中で連発しておけば、「面倒くさい」というキーワードで検索上位になったりしないッスかね?(笑)
いや、そもそもそんなワードで検索する人もあまりいないか・・・
最近少し重めの記事が続いたので、軽い記事書こうと思ったら、どうでもよさ120%の記事になってしまった。でもいいんだ、意識低いんだから。便利な言葉!
今回はこのあたりで。