家事育児を「手伝う」と表現するのはNG!妻の地雷を踏んでしまう!
昨今、いたるところで見かける意見ですね。
では何故、「手伝う」と表現するのがご法度なのか。漫画「主婦をサラリーマンにたとえたら想像以上にヤバくなったマンガ」を紹介している記事では、下記のように説明しています。
この「手伝う」発言に怒りを感じる人が多いようなので、なぜこれほどまでにこの発言が怒りを買うのかを考えてみた。その原因はおそらく、言っている本人が普段、家事育児をしてこなかったことの積み重ねが背景にあるからだろう。
なるほどなるほど、そんなセリフが出てくるのは普段家事育児をしていないから、家事育児を主体的に考えていない証拠だ!というわけですね。
上記記事のように「手伝う」という言葉に引っ掛かる人たちの言い分や気持ちはわからなくもないですが、わかった上で「そんな細かい言葉の問題、心底どうでもいいな」と僕は思ってます。本記事でその理由を書いてみます。
メイン、サブの違いがあるだけ
そもそも夫側が「手伝う」と表現する時は妻側がメインで家事育児を担当し、夫がサブに回るときだと思います。つまり、夫がフルタイム働いて、妻が専業主婦 or パートタイマーとか、そういうケース。
妻がメインで夫がサブならば、「手伝う」という表現に何の問題もないと思うんですよね。むしろサブ的役割の夫が「家事育児バリバリやってるぜ!」とメイン側気取りするほうがよほどおかしいじゃないですか。
逆に、パートタイマーの妻のほうも、パートに出ることを「家計を助けるため」と表現するのはよくあることです。
仮にそういうケースで「助ける」という言葉に突っかかって、
「家計を助けるだと?ヒーロー気取りか!大人なんだから働くのは当たり前だし、親なら子どもの養育費を稼ぐのは当たり前だろうが!!」
なんて切れ散らかしてる夫いたら、だいぶやべー奴ですよね。普通にモラハラ認定されそう。
仕事、家事、育児の分担をどうするかなんて、それぞれの家庭で決めることです。
お互いの仕事状況、子どもの状況、産後の体調、保育園の空き状況、実家に頼れるか、マネープラン等々、変数が無数にあるため、家庭ごとに最適な役割分担は異なるはずです。
その分担を夫婦が対等な立場で話し合って決めればいいことで、その結果メインとサブに分かれたのであれば、それがその家庭の最適解でしょう。実際運用してみて不都合があるのならば、また話し合えば良いだけのことです。
どうも、夫婦喧嘩系のコミックエッセイや記事読んでると、この「話し合う」が壊滅的にできてないケースがほとんどですよね。
こういう夫婦がまずやることは、「手伝う」だとか「助ける」だとかそんな言葉尻捉えてワーワー言うことではなく、「話し合う」スキルをお互いが身に着けることです。夫婦関係の原点にして頂点となるスキルです。
些細な言葉にこだわるのではなく、お互いの家庭貢献に対する感謝が大事
「家事育児を『手伝う』とは何事だ!お前の子どもだろうが!」
なんて切れてる暇があったら、お互いの家庭への貢献度に対してお互いに感謝の言葉をかけあいましょうよ。
- 「家事育児メインでがんばってくれてありがとう」
- 「家事育児を手伝ってくれてありがとう」
- 「収入の柱としてがんばってくれてありがとう」
- 「家計を助けるためにパートしてくれてありがとう」
こんなんでいいんですよ。
役割が違ったとしても、協力して家庭運営をする同志なのですから。
冒頭で紹介した漫画のようにサラリーマンの仕事に例えるならば、営業、開発、人事、経理、全部会社に必要な仕事ですよね。お互いの仕事にリスペクトを持ちながら協力して仕事を進めていけばいいだけのことです。
「自分の子どもなんだから育児して当たり前」
「自分の子どもなんだから養育費を稼ぐのは当たり前」
そんなふうに相手のやってくれることを「当たり前」と捉えるのではなく、相手のしてくれることに感謝の気持ちを持つ、それが夫婦を続けるうえで一番大事な事なんじゃないでしょうか。
余談
そもそも、冒頭で紹介した漫画って、サラリーマンや主婦業の都合の良いところだけつまみ食いしている感じがします。レビュー欄に「例えが下手」と書かれてますが、下手というより、持論を強引に展開するために都合の良い世界を作り出してる感じ。
繰り返しますが、お互い割り当てられた仕事をこなすのは、会社内分担も家庭内分担も同じ。
むしろ、会社は所属部署や役割を自由には決められないですが、家庭は自分たちに決定権があるんですから、分担に問題があるのなら再度夫婦で相談して決め直せばいいだけ。どちらか一方を責める話ではないんですよね。