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「君をのせて」のアンサーソング「君をつれて」の歌詞はどう解釈するといいんだろうか

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いわずと知れたアニメーション映画の名作「天空の城ラピュタ」。

 

その主題歌である「君をのせて」も多くの人に知られる名曲ですが、この主題歌に対するアンサーソングとして、石井 竜也さんが歌う「君をつれて」があります。 

 表題曲は同映画の主題歌「君をのせて」のアンサーソングで、映画のエンディングから16年を経た主人公・パズーの視点で新たに作詞された曲である。

 

君をつれて

君をつれて

 

 

しんみりとした気分になれる良い曲です。この曲が「君をのせて」に対するどういうアンサーになっているのか、ちょっとだけ考察してみました。

 

 

歌詞の内容

大人になったパズーの視点で過去を振り返り、これからについて考えるような歌詞となっています。

 

歌詞をざっくりまとめると、

  • あの頃の夢は未だつかめていない
  • 季節の流れと共に2人の心もあの頃とは少し変わってしまった
  • もう一度夢をつかむための旅に出たい、君と2人で

といった感じに読み取れます。

 

時間の流れは残酷なもので、誰もが少年時代のようなピュアな心を持ち続けられると限らない。大人になってしまったパズーは人生経験の積み重ねでいろいろ悟ってしまったところもあるけれど、それでも夢をあきらめたくない。

 

前向きな歌詞ではありますが、大人視点特有の哀愁や郷愁が入り交ざっていますね。

 

 

ラピュタにたどり着けなかったもうひとつの世界線?

 パズーの夢とは、亡き父が竜の巣の中で見たという「ラピュタ」を見つけることだったはず。その夢が「いまだに掴めていない」とはどういうことでしょうか?

 

映画本編の中でパズーはシータと共にラピュタに辿り着いて、紆余曲折の果て、その崩壊まで見届けているはず。

 

ひょっとしてこの歌詞の内容はパラレルワールドで、少年時代にラピュタを発見できなかったパズーが、今度こそシータと一緒にラピュタを探しに行こう、とかそういう話かなとも思ったのですが、Wikipediaの記述に

映画のエンディングから16年を経た主人公・パズーの視点で

 とあるので、映画本編と同じ世界線のようですね。この説は違うっぽい。

 

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パズーとシータの倦怠期?

 アニメ「天空の城ラピュタ」はわずか3日間の物語。その短い間に、

 

パズーとシータは劇的な出会いをし、

海賊と軍隊に追い回され、

すったもんだの末に海賊の仲間になり、

暴風吹き荒れる竜の巣の中でラピュタを発見し、

最終的に滅びの呪文でラピュタを滅す

 

と、目が回るような大冒険をします。

 

命がけの体験を共にした男女はそのドキドキを恋愛のドキドキと錯覚(吊橋効果)して互いに恋に落ちるといいますが、パズーとシータはこれほどの大冒険をしたのであれば、当然お互い惹かれあって本編後くっついたと思うんですよね。本編中でも普通に惹かれあってる描写ありましたし。

 

で、「君をつれて」の歌詞の内容的には多分パズーとシータは一緒に暮らしていると思うんですが、日常生活には「天空の城ラピュタ」本編のような命がけのドタバタ大冒険に匹敵する刺激などあろうはずもなく、退屈な日常が繰り広げられているはず。

 

パズーとシータはこの歌の中では一種の倦怠期なのかもしれません。もう一度あの頃のわくわくドキドキした気持ちを取り戻したい、という気持ちがパズーの心にあってもおかしくありません。

 

ただ、ラピュタを巡る事件と同等の刺激を日常生活に望むのもナンセンスな話です。日々の暮らしを一歩一歩確実にシータと共に幸せに歩いていくことこそが、大人になったパズーには必要なことなのでしょう。歌詞にもそれを匂わせる内容が書かれています。

 

「まだ掴めていない夢」とはラピュタを発見することではなく、「シータを守りたい(幸せにしたい)」という夢なのかもしれません。そのために、シータと2人で歩んでいく、そんな想いを歌詞から読み取りました。

 

君をつれて

君をつれて