あずまきよひこ先生の大人気漫画「よつばと!」ですが、毎回コミックスの帯に書かれているキャッチコピーを楽しみにしている人も多いんじゃ無いでしょうか?
一見なんでもないような言葉に見えて「よつばと!」ワールドを巧妙に表現しているキャッチコピーの数々。各巻毎にまとめてみました。
- いつでも今日が、いちばん楽しい日(第1巻)
- ただ、ここにいるだけのしあわせ。(第2巻)
- どこかで見た、どこにもない場所へ。(第3巻)
- いつかおとなになるこども。と、かつてこどもだったおとな。かわらないまいにち。(第4巻)
- おわらない夏のおわり。(第5巻)
- 今日も世界はひろがっていく。(第6巻)
- こどもが走れば、おとなも走る。(第7巻)
- 平日、休日、祭日、毎日。(第8巻)
- 変わっていく季節、変わらない毎日。(第9巻)
- 毎日という宝箱を、今日も開ける(第10巻)
- 世界は見つけられるのを待っている。(第11巻)
- 目の前には実物大の世界地図。(第12巻)
- そして今日も、日々は続く。(第13巻)
- 世界 vs 子ども(第14巻)
- 普通という奇跡
いつでも今日が、いちばん楽しい日(第1巻)
「いつでも今日が、いちばん楽しい日」
「よつばと!」全ての基本とも言える言葉です。よつばの日々はいつだってわくわくとドキドキが詰まっていて、毎日が最高の日です。
雨に打たれながら大はしゃぎするよつばを見て父ちゃんが、
「あいつはなんでも楽しめるからな。よつばは無敵だ」
と感想を漏らしていますが、なんでも楽しみに変えることのできるよつばにとって、毎日すべてが楽しいものなのですね。
ただ、ここにいるだけのしあわせ。(第2巻)
「ただ、ここにいるだけのしあわせ。」
「よつば」視点では毎日が大事件の連続ですが、大人視点でみるとそうでもなく、ありがちな平凡な日々。それでも父ちゃんもジャンボも綾瀬家の人々、よつばと絡む大人たちはみんな楽しそう。
ただよつばがそこにいて、楽しそうにしているだけで、それだけで充分。幸せってそういうものなのかもしれません。
どこかで見た、どこにもない場所へ。(第3巻)
「どこかで見た、どこにもない場所へ。」
公園、神社、路地裏・・・よつばは毎日近所を大冒険します。それはどこにでもあるような場所であっても、よつばにとっては特別な場所。そうして毎日の思い出が積み重なっていく。
どんなありふれた場所であっても、見る側の気持ち次第でそこは見たことも無いような大冒険の舞台に変わる。子どもの頃のわくわく感を思い出させてくれる、素敵な言葉です。
いつかおとなになるこども。と、かつてこどもだったおとな。かわらないまいにち。(第4巻)
「いつかおとなになるこども。と、かつてこどもだったおとな。かわらないまいにち。」
このキャッチフレーズみるといつもセンチメンタルな気分になってしまいます。子どもの頃、特に小学校の6年間って今思い返すとすごく体感時間の長い時期でした。
毎日親に叩き起こされて、眠い目をこすりながら学校に行って、授業受けて、休み時間にドッジボールして、給食食べて、放課後友達の家に行って遊ぶ・・・そんな毎日が永遠に続くような錯覚に陥っていましたが、気がついたらとっくに大人になっていました。
変わらない毎日の繰り返しでも、時間は止まることなく流れている。当たり前の話ですが、なんとなく切ない気持ちにもなります。
おわらない夏のおわり。(第5巻)
「おわらない夏のおわり。」
よつばとの第1話は夏休み初日から始まり、その後ほぼ1話1日のペースで話が進んでいくこともあり、「よつばと=夏」というイメージが強いのは僕だけでしょうか?
クソ暑い日差しの中を半袖半ズボンで元気に駆けていくよつば。でもそんな夏の日々にもいつか終わりが来る。とうちゃん、よつば、風香、恵那・・・登場人物たちがそれぞれの表情とセリフで夏を惜しむのが印象的な巻です。
今日も世界はひろがっていく。(第6巻)
「今日も世界はひろがっていく。」
新アイテム「自転車」を手に入れたことで、行動範囲がぐっと広がったよつば。時には約束を破って父ちゃんに怒られながらも、持ち前の思い切りの良さでぐいぐい世界を広げていく。
初めてひとりでおつかいに行った日。
初めて自転車に乗った日。
初めて隣町まで遊びに行った日。
子どもの頃って世界が一歩ずつ広がるたびにわくわくしてましたよね。大人になってから海外旅行に行くよりも、子どもの頃隣町まで行くことのほうが、ある意味ではずっと大冒険だったりするかもしれません。
こどもが走れば、おとなも走る。(第7巻)
「こどもが走れば、おとなも走る。」
7巻はよつば、父ちゃん、ジャンボ、やんだの4人で牧場に行く話が掲載されていました。見開きで描かれる牧場を駆けていくよつば。広々とした空間をどこまでも走っていく気持ちよさが伝わってきます。
あさぎに「よつばちゃんは移動の基本が『走る』だね」と評されたよつばですが、よつばに限らず子どもって本当によく走りますよね。しかも疲れた顔もせずけろっとしてるし。
子どもが走ってずんずん前に行ってしまうと、見守る大人としてもつきあって走らざるを得ないわけで・・・僕もよく子どもに付き合わされて走ってますが、「勘弁してくれ」と思うこともたびたびw
平日、休日、祭日、毎日。(第8巻)
「平日、休日、祭日、毎日。」
いつまでも続く夏の日々・・・が過ぎ去り、文化祭、台風、お祭り、どんぐり拾いなどすっかり秋ムード。夏だろうが秋だろうが変わらず楽しめる、よつばの毎日は続いていきます。
変わっていく季節、変わらない毎日。(第9巻)
「変わっていく季節、変わらない毎日。」
秋だというのに相変わらずよつばは半袖半ズボンだし、父ちゃんはTシャツにトランクス姿。こんな格好してたらまた風邪引くよ。
・・・と思いきやそれはよつばの夢で、目覚めたよつばもまだ寝てる父ちゃんも長袖のパジャマ姿でした。よつばって半袖半ズボンのイメージが強いから、長袖姿って新鮮ですね。
季節は変わってもよつばとよつばを取り巻く世界の楽しい日常はなんら変わることなく、今日もまた楽しげな事件が起きるのです。
毎日という宝箱を、今日も開ける(第10巻)
「毎日という宝箱を、今日も開ける」
- 父ちゃんと一緒に公園で遊ぶ
- ホットケーキを作る
- シールで遊ぶ
- 電器屋に行く
- いたずらをして父ちゃんに叱られる
- 友達の家に遊びに行く
ひとつひとつは何てことの無い平凡な日常でも、よつばにとっては毎日が発見という名の宝物。時間が経てばそれが思い出という名の宝物に変わる。
よつばと父ちゃんたちのかけがえのない日々を過不足無く表現した、短くも美しいキャッチコピーですね。
世界は見つけられるのを待っている。(第11巻)
「世界は見つけられるのを待っている。」
「よつばと!」は基本的によつば視点で物語が進んでいるので、よつばに見つけられるまでは物語に登場しません。
まだ言ったことのないお店、食べたことの無い料理、やったことのない遊び・・・よつばに見つけてもらうことを心待ちにしています。
読者的にも、「父ちゃんの買う自動車」「よつばの小学校生活」「よつばのじーちゃん」などなど、早く見つけて欲しいものが盛り沢山です。あずま先生、何卒連載ペースのほう頑張ってください(切実)
目の前には実物大の世界地図。(第12巻)
「目の前には実物大の世界地図。」
テレビやインターネットなどの文明の利器の発達で、容易に世界のことを知れるようになった現代社会。でもどれだけ情報機器が発達しても、結局のところ「直接見る」ことには敵いません。よつばの目に映るのは、実物大の世界地図。
そして今日も、日々は続く。(第13巻)
「そして今日も、日々は続く。」
以前から名前だけ出てた「ばあちゃん」満を持して登場!
一緒に掃除したり、散歩したり、折り紙で遊んだり、絵本を読んでもらったり・・・あっという間に過ぎる楽しい時間。よつばのばあちゃんへの懐き方もスゴイですが、ばあちゃんもこれでもかと言うほどよつばを可愛がっているので(叱るべきときにはびしと叱りますが)、懐くのも無理の無いことですね。
そんなばあちゃんがついに田舎に帰るとなったとき、この世の終わりかと言うほどの勢いであの手この手で帰るのを妨害し、それが叶わないとわかって泣き始めるよつば。そっと慰めるばあちゃん。思わずもらい泣きしそうになりました。
ばあちゃんが帰ってしまっても、「日々は続く」。やんだが昼飯時にやってきていつものように低レベルな争いして、いつもと変わらない日々。だけど、ちょっとだけ成長したよつば。今度ばあちゃんと会うときにはもっともっと成長した姿をばあちゃんに見せられるよう、ガンバレよつば!
世界 vs 子ども(第14巻)
「世界 vs 子ども」
ついに自動車とスマホを手に入れ(どっちもとうちゃんのだけど)、物理的にもデジタル的にも一気に世界が広がったよつば。広大な世界に対し、「子ども」という天下無敵の属性を備えたよつばが果敢に挑む!!
普通という奇跡
「普通という奇跡」
シンプルだけどすごく深いメッセージに感じます。15巻はやはりランドセルのエピソードがインパクト大。そのあたりの感想は別記事で書いてますので、良かったら読んでやってください。