3年間の沈黙を破ってついに発売されたよつばと15巻!(最近よつばとの新刊が出るたびにこんなこと言ってる気がする 笑)。
いつもなら各話の感想をつらつらと書いていくところですが、今回は104話「よつばとランドセル」の話に絞って感想を書こうと思います。そのくらいあのエピソードのインパクトは強かった...
何故泣けるのだろうか?
タイトルでは「ランドセルの話読んで泣かない親なんているの?」みたいに煽り気味で書いてしまいましたが、もちろん感じ方や感想は人それぞれ思うところが違うのは当たり前として、僕はランドセルの話読んで感極まってしまいました。泣けます、これは。
で、落ち着いてからちょっと考えてみたんですが、ランドセルエピソードでの「泣く」という感情の正体って何なんだろう、って思いましてね。
読者の涙は父ちゃんに対する感情移入なので、「とうちゃんの涙の理由」=「読者の涙の理由」で概ね問題ないとは思うんですが、そもそも何故泣けるんだろう、と。
当然ですが、悲しくて泣いてるわけではなく、感動して泣いているわけですが、では何故よつば(子ども)がランドセルを背負っただけで...もう少し言えば、小学生になるという現象の象徴的姿だけでこうも心を揺さぶられてしまうのか、どうにも上手く言語化できずにいました。
灯台下暗し、その答えは15巻の帯に書いてありました。
「普通という奇跡」
よつばとファンにはおなじみですが、各巻のコミックスの帯には短いキャッチコピーが書いてあります。よつばとの世界観を端的に表すシンプルなメッセージで、毎回楽しみにしている人も多いと思います。
今回15巻のキャッチコピーはこれです。
「普通という奇跡」
...ああ、なるほど。ランドセル話を読んだときの感動の正体はこれなんだと思います。
子どもを育てるということは嬉しさや楽しさもありますが、苦労の連続でもあります。病気になったり、幼稚園を嫌がったり、お友達とトラブル起こしたり、全然言うことを聞いてくれなくてイライラしたり、ついつい子どもにきつくあたっちゃって自己嫌悪に陥ったり...
そんなこんなを乗り越えて、いよいよ小学生になるという節目のタイミング、「普通」という言葉は必ずしも妥当ではないかもしれませんが、ともあれ「普通」に小学校に上がるまでに成長してくれたという「奇跡」。その奇跡に直面して感極まってしまう、それがランドセルエピソードの涙の正体なのではないかな、と。
僕の勝手な想像ではありますが、15巻の帯のキャッチコピーにはそんなメッセージが込められている気がします。