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私の戦闘力は53万マイクロです

農夫のおっちゃんの10分の1程度の戦闘力で適当に生きる、意識低い系サラリーマンのブログ

【ネタバレ注意】古典部シリーズ「いまさら翼といわれても」の感想

すっかり忘れていましたが、去る2016年11月30日に古典部シリーズ最新刊の「いまさら翼といわれても」が発売していました。 表題作「いまさら翼といわれても」+5編が収録された短編集です。

ハードカバー版と電子書籍版の2種類がありますが、あえてハードカバー版を買いました。価格が高い上に重くて嵩張りますが、ハードカバーの「本を読んでる」感が好きです。

発売から1ヶ月以上過ぎてるのでいまさらではありますが、若干のネタバレ含みつつ感想を書きます。

箱の中の欠落

生徒会長選挙で行われた不正を調査する里志は、奉太郎に相談。里志の口から語られるわずかな手がかりから、奉太郎は不正が行われた手段を解き明かしていきます。2人の目的はあくまで「不正の手段」を解明することで犯人探しは二の次でしたが、結局タナボタ的に犯人もお縄になります。

ふと思ったんですが、この犯人わざわざ証拠回収に出無かなければ捕まらなかったんじゃ無いでしょうか?犯行の手口がバレる程度なら構わないので、あとは素知らぬ顔を決め込んでいれば良かったのに。

事件の本筋とはあまり関係ありませんが、散歩の道中(途中で立ち寄ったラーメン屋含む)での、奉太郎と里志の何気ない会話が印象的でした。「親友」と単純に形容するにはいささか抵抗がある2人の、微妙な関係と言うか距離感がよくわかるエピソードです。

 

鏡には映らない

古典部メンバーの1人「伊原摩耶花」は、初登場時から主人公の奉太郎に対して、やや辛らつな態度を取ります(古典部で活動を共にするにつれて少しずつ軟化はしていきますが)。その理由が解き明かされます。

中学校時代のとある「事件」について、釈然としないものを感じていた摩耶花は、その謎を解き明かすべく奮戦します。奉太郎と里志のややおせっかい気味な正義感と、不正や不条理を許せない摩耶花の性格が改めてあらわになり、3人への好感が増しましたが、事の発端となった「女子のイジメ」が妙にリアルというか陰険で、読後感はあまりすっきりしませんでした。

 

連峰は晴れているか

既に京都アニメーション製作のアニメで映像化されているエピソード。

ふとした拍子に、中学時代の恩師・小木教諭が授業中にヘリコプターを気にしていたことを思い出す奉太郎。普段なら細かいことは気にせずに流す奉太郎が、今回に限って何故か積極的にその理由を探ろうとします。

人間くさいと言うか、温かみがあるというか、奉太郎の意外な一面を垣間見ることになります。その意外な一面とは結局何なのか、作中の千反田える同様、上手く言葉に表すことができませんが。

 

わたしたちの伝説の一冊

伊原摩耶花が所属する漫画研究会内部の派閥抗争を描いた話です。古典部シリーズの醍醐味である謎解き要素は少なめで、漫研女子の人間関係の軋轢にスポットが当たっています。・・・女子同士のケンカ怖い。

結局犯人(?)は大方の予想通りの人物だったりしますが、「2人で一緒に同人誌を描きたいから」という動機はちょっと意外でした。

 

長い休日

「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければならないことなら、手短に」
古典部シリーズ主人公・折木奉太郎が度々口にするこのモットーの原点が解き明かされるエピソードです。

端的に言ってしまうと奉太郎のこのモットーは、「小学校時代特に疑問を感じず周りの頼みをほいほい引き受けていたら、自分だけ損をしていたことに気づいた。これからは余計なことは極力やらない生きかたを貫きたい」という、少年時代の苦い経験に基づくちょっと拗ねた理由によるものでした。

「嫌な顔せずに用事を引き受けてくれる」小学生に、周りの小学生がこれ幸いとタダ乗りしてしまうのはまだわからなくもないですが、一見真面目そうな感じの担任教師までこれに相乗りしていた、というのがなんともお粗末な感じです。周りは気楽に考えていても、当の本人にとっては消えない傷になる恐れもあるというのに。

実際、奉太郎はこの経験以来ずっと高校生まで省エネ主義を貫いていましたが、高校で千反田えると出会ったことにより、奉太郎の歯車に狂いが生じます。そのことが奉太郎にとって吉と出るか凶と出るかは、また別のお話。

タイトル「長い休日」が単なる週末の1ページを指しているのではなく、奉太郎にとっての「省エネ主義を貫く日々=長い休日」にかかっていてダブルミーニングとなっている点が面白いですね。

 

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いまさら翼といわれても

4年前に刊行された「遠回りする雛」のエピソードに端的に表されていますが、ヒロインの千反田えるは家業の農家を継ぐことをずっと昔から決めています。そのことを千反田える自身が自分の中でどのように捉えているか、複雑なところではありますが、少なくとも納得して受け入れているようではありました。

ところが、ある日突然父親から「おまえは千反田家を継がなくていい。自由に生きろ」と言われてしまいます。父親も昔から娘に跡をついでほしいことを直接的・間接的に言っていたと思うのですが、考えを揺るがすだけの何かしらの出来事があったのでしょうか?本作中ではそのあたりを掘り下げられていないので、今後語らえることがあるかもしれません。

いずれにせよ、既に跡を継ぐことを決意していた千反田えるにとって、自分の足元が急にふわふわしてしまったような、なんともいえぬ不安感に襲われることになります。いままでの自分は「千反田家の跡取り」という、「自分は何者か?」という問いに対する明確なアンサーがあったのに対し、これからは自分で自分を何者なのかを探し求めていく必要があります。そんなこと、成熟した大人であっても動揺は隠せないと思いますが、それが10代半ばの若者であればなおのことです。

千反田えるは「いまさら翼といわれても困る」という表現で戸惑いを口にしています。えるがどのように考え、どのような進路を志すのか、今後の展開が気になるところです。

 

全編通して

「瑞々しくもビターな全6篇」と銘打たれた本書ですが、まさにその名の通りの短編集に仕上がっています。思春期特有の多感さゆえの物語とも言えますが、大人になった今彼ら彼女らの微細な心の動きに触れると、なんともむず痒いようなまどろっこしいような不思議な感覚に囚われます。いまさらその時代に戻りたいとは思いませんが、少し羨ましくはなりますね。

 

なお、本書で一番興味深かったのは、主人公・奉太郎による「走れメロス」の独自解釈ですね。里志の言い方を借りると「奉太郎は昔から奉太郎だった」ということがよくわかります。