人間の承認欲求を語らせたら右に出る者はいないとまことしやかに囁かれる有名ブロガーのシロクマ (id:p_shirokuma)氏が、承認欲求をテーマにした本を出版されるそうです。
「承認」を得られた後には「期待」が待ち受けている
人間は他者を認識する能力を身につけ、社会生活を営んでいくうちに、「誰かから認められたい」という感情を抱くようになる場合が多い。この感情の総称を承認欲求という。
褒められて悪い気がする人もあまりいないでしょうから、大なり小なり人間には承認欲求というものが存在すると思われます。ただ、あまりに安易に承認を求めるのは考え物です。
社会の中での他者との関わりにおいて、単方向のみで終わることはまず考えられず、双方向が基本となるからです。他者に承認されることを望み、承認された後に待っているもの・・・それは他者からの「期待」ではないでしょうか?
品行方正であると周りから「承認」されている人間は、当然それ相応の言動を「期待」されることになります。少しでもその「期待」に外れる要素があろうものなら急転直下で「承認」の坂道を転がり落ちていき、最初からその「承認」を得られていない人間よりも下の扱いを受ける・・・なんてことにもなりかねません。
また、承認には責任もつきもの。モテ男が女性を口説いているうちは楽しいでしょうが、いざそれが成功した後(承認を得られた後)は、正式なお付き合いや結婚などといった「責任」を相手の女性から求められることでしょう。
承認欲求はあまり無いが、一度得られた承認を維持したい欲求はある
僕は自分自身があまり承認欲求の強いほうだとは思っていません。まあでも、承認欲求の強さというものが数値とかで可視化できるわけでもないですし、他人の承認欲求の強さがわかるわけでもないので、断言はできませんけど。前章で述べたような、承認に関わる期待や責任を考えた場合、そこまで積極的に求めていきたいとも思えないのです。
とはいえ、確かに周りから褒められたり認められたりするのは嬉しいものです。
一例を挙げますと、妻や義母、子どもの幼稚園のママ友などから「子煩悩なイクメン」であるという評価を受けることがあります。イクメンという言葉はあまり好きじゃないですけど、こう言われて悪い気はしません。せっかく好意的な評価を受けているのならば、それを出来る限り維持したいなとは思うのです。しかしこの欲求が自分で自分の首を絞めることにもなります。
子どもの幼稚園で親子参加の平日イベントがたまにあるのですが、
「当然○○ちゃんのお父さんは有給取ってでも参加するはずよね~、イクメンだもんね」
と直接言われたわけでもないくせに、勝手に自分で気負って無理にも休みを作って参加したりしちゃいます(休んだ分、後日ヒーヒー言いながら残った仕事を片付けるはめに)。当然子どもが可愛いのもあるのですが、同時に自分のイクメンのイメージを守りたいなどと卑しいことを考えてしまうのです。
人間の欲求は本来自分を守るためにあるはずなのに(多分)、その欲求に溺れて苦しむと言う本末転倒。