歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさんや小泉今日子さんが検察庁法改正案に抗議する表明をしたことで叩かれた、という件が話題になってますね。
これに端を発して、
「芸能人は政治的発言をするなというのか!?」
「政権批判すると徹底的に叩かれる日本は異常!」
と憤っている人が多いようです。爆笑問題の太田さんも「芸能人だろうと納税してるんだから政治発言したって良い」という切り口で擁護していました。
でもそもそも、きゃりーぱみゅぱみゅさん達は「芸能人なのに政治に口を出した」あるいは「政権を批判した」からここまで叩かれているんでしょうか?
確かにそういう側面もあるでしょうが、僕は少し違うと思っています。
政治の話題は元々荒れやすい
「普段あまり政治の話題を出さない歌手や俳優がいきなり政権批判を始めた、思ってたのと違う、幻滅した!!」
というファンも確かに何人かはいるのかもしれません。
しかしそれ以前に、昔から政治というのはオフラインでもオンラインでも荒れやすい話題の1つだったはずです。その現象の是非はおいても。
ネットだと、古くは2ちゃんねるの時代から(あるいはもっと前から?)与党がどうした野党がどうしたアメリカガー中韓ガーというのは可燃性の高いネタです。
ただ、2ちゃんねるの時代は匿名全盛の時代だったこともあり、1人の意見が大きく拡散されたり晒し物にされたり、というのは起きにくい土壌がありました。
それに比べ、現在のSNSは何かのきっかけですぐさま拡散してポジティブな意味でもネガティブな意味でも大きく盛り上がってしまうシステムになっています。
ただでさえ芸能人や各界の著名人はフォロワーが多いのでその分拡散もされやすく、反対意見を持つ人の目にも止まりやすいだけ、と言う気がします。
「芸能人が政治的発言をしたから叩かれた」
というより、
「目立つ人が賛否の分かれる話題を出したから、反対意見が殺到した」
が正解かな、と。
もちろん「芸能人のくせに政治の話なんてしてんじゃねぇ!」と本気で思っている人もいなくはないでしょうが、主流派ではないんじゃないですかね?
政権批判をすると叩かれやすいのか?
あと、
「政権批判の意見は叩かれやすい」
という指摘もちらほら散見しますが、これは的外れですね。
ちょっと前にお笑いコンビ・サンドウィッチマンの伊達さんが、
「最近批判している人ばかり。いまはもっと団結すべきとき」
みたいなことを発信して、これを政権擁護と捉える人から叩かれていました。個人的にはこの発言は政権擁護どころか政治的発言ですらなくて、単に伊達さんが世間のギスギスした空気に苦言を呈しただけって気がしますけどね。僕が伊達さん好きなので好意的に見ているだけかもしれませんが。
ともあれ、政権擁護であろうと政権批判であろうと、政治の話は荒れやすいのは事実のようです。
批判と中傷の区別が大事
そもそも、
「批判が来た」=「叩かれた」
というのが安直ですよね。
もう何週目の話題だよって話ですが、「批判」と「中傷」の区別はちゃんとつけるべきだと思うんです。
先述したような「芸能人のくせに~」みたいな反応やそれよりもっと直接的な罵詈雑言なんかは単なる中傷、問題外です。
しかし、政治的発言に対して別角度からの反論が来たのならば、それは批判であって「叩かれた~」というように被害者のように振舞うのはどうかと思います。
藤子先生の名作「エスパー魔美」でも、こんなセリフがありました。
公表された作品については、見る人全部が自由に批評する権利を持つ。どんなにこきおろされてもさまたげることはできないんだ。それがいやなら誰にも見せないことだ。
「くたばれ評論家」の巻より引用
これは言論についても同じことが言えるんじゃないでしょうか?不特定多数の世間に向かって自分の意見を発信したわけですから、意見の合わない人から反論が来るのは当たり前のことです。
きゃりーぱみゅぱみゅさんや小泉今日子さんに政治的発言をする自由があるのと同様に、それを見聞きした人には賛成や反論、批判をする自由があります。様々な考えを持った人が共存する社会において、一方通行の自由というのはあり得ません。
「私の政治的発言に対して一切の反論や批判をするな!」
というのは、「芸能人のくせに政治的発言をするな」と同じくらいナンセンスな考え方だと思うのですが、どうでしょうか?