米澤さんの長編ミステリー小説「ボトルネック」を読みました。モヤモヤするようなさっぱりするような納得するような・・・不思議な読後感です(笑)
読んでて疑問に思ったこと、「主人公のリョウは同じ似た者同士でも、何故ノゾミには恋をし、兄のハジメに対しては見下していたのか」について書いてみます。
主人公「リョウ」と兄の「ハジメ」の共通点
作中で「姉」のサキが、
「(リョウが兄のハジメとソリが合わないのは)似ているからじゃない?」
と評します。
これ一瞬、僕はピンと来なかったんですよね。リョウとハジメってあまり似てなくない?と。
でもよくよく考えると、表面的なところはともかく、本質的にはこの2人似ているのかもしれません。
- 自己愛が強い
- 深く物を考えられない(考えようとしない)
自己愛に関しては、リョウは「自分に似た女性(自分の鏡像)を好きになる」という形で現れ、ハジメは「的外れなプライドの高さ」(到底合格不可能な大学を受験する、など)に現れています。
深く物事を考えるか否かも、ハジメはそもそも考えや言うことが浅いし、リョウは自分なりに考えようとはするものの、途中で諦めて流れを受け入れてしまう。どちらも「深く物事を考えられない」者同士です。
リョウは心の中でハジメを見下し毒づくことでストレス解消をしていますが、リョウがハジメを見下すポイントはほとんどがこの「自己愛」「浅い考え」の部分に集約されています。
まさしく、同属嫌悪ってやつですね。
もしもノゾミが死んでいなくて、主人公と一緒になっていたら?
リョウの恋人であるノゾミは、自らの境遇への不満からか、他人の性格を模倣することに救いを求める傾向があります。
「リョウの世界」では、ノゾミはリョウの性格を模倣することにより結果的に2人は似た者同士となり、恋仲となります。リョウは自身の性格を投影したノゾミを通じて自己愛を満たし、ノゾミはリョウと同じ考えを持つことによる依存心により自身を癒す、共依存とも言える関係です。
でもこれって、リョウが似た者同士のハジメを見下し嫌っていたのに対し、何故同じ似た者同士のノゾミに惹かれるのか、ちょっと不思議ではあります。
同性と異性では勝手が違うってのもあるかもしれませんが、僕はこれ「一緒に住んでいるか否か」が大きいと思うんですよね。兄のハジメとは家族で一緒に住んでいたからこそ、ハジメを通して自分の嫌な部分を直視させられることになり、結果的にそれが兄への嫌悪という形に昇華していたように思えます。
となると、もしも「リョウの世界」でフミカの悪意が発動せずノゾミが生き延び、将来的に結婚や同棲をすることになっていたら・・・リョウはノゾミに対しても嫌悪を抱くことになるんでしょうか?
これに関しては、微妙なところだと思います。もしもノゾミがリョウの性格を模倣したまま大人になり、似た者同士で一緒に暮らせば仲が険悪になる可能性は高いと思います。
しかし、ノゾミが成長する過程でちゃんと自己を確立できていれば(そもそも人は中学生、遅くても高校生くらいにはアイデンティティを確立させるものです)、ノゾミ独自の性格を獲得し、リョウと似た者同士にならないのでは?という気もします。それならば、一緒に暮らしてもなんとかかんとかやっていけるかもしれません。
ただその場合、自己を確立させたノゾミがリョウに依存する理由もなくなってしまいますから、そもそも2人はくっつくのか?という別の疑問も出てきますけどね。