若竹七海さんの連作短編小説「ぼくのミステリな日常」を読みました。
読了直後の感想を書きます。がっつりネタバレしてますので、未読の方はご注意ください。
思ってたような「ミステリな日常」と違った
この本に対する予備知識がまったく無い状態で読み始めたので、タイトルからてっきり「日常系ミステリー」だと思ってたんですよね・・・
米澤さんの「小市民シリーズ」や「本と鍵の季節」みたいな。殺人とかそういう剣呑な事件が起きない、まったり系小説かと。
そんなんだったので、読んでみてびっくり、人は死にまくるはオカルトまがいの話はあるわで、全然まったりしてない。
これが『ぼく』の日常なら、ちょっとミステリアス過ぎますね。まあほとんどが伝聞系の話なんですが。
で、この小説のキモとして、個々のエピソードの謎以外に一気通貫した謎が用意されているわけですが、これがなかなか見事でした。
最初、社内報編集者の若竹七海(作者自身?)がミスリードするわけですが、彼女自身の推理もなかなか良く出来ていて、確かにそういう解釈も十分ありうるという気になっちゃうんですよね。いやはや、ほんとお見事。
僕自身も読んでる最中に、
- 語り部の『ぼく』は本当にすべて同一人物なのか?
- 短編小説の発表順と作中時系列は一致していないのでは?
というのは薄々感じていました。
とは言っても、じゃあ具体的どこがどういうふうに?となると、丸っきりわかってなかったので、解決編(編集後記以降)読んでるときは驚きの連続。
ミステリー系の作品は毎回推理が当たった試しがないけど、解決編読んでる時の、
「なるほど、そういうことだったのか!!」
という感覚を得たいがために読んでますw
「滝沢の死」と「葬式での湯川先輩の言動」はさほど不自然に感じなかった
総評としては「面白かった」という評価に落ち着く本作品ですが、1点腑に落ちないところがあります。それも一番核心的な部分。
すなわち、
滝沢の死に関して『ぼく』が湯川先輩に疑いを持った理由
です。
まず、『ぼく』は朝顔に怯えていた滝沢が朝顔の方向に逃げ出して石に頭をぶつけて死んだのに疑問を持っています。
でも、そもそも滝沢は半ノイローゼ のような状態だったわけだし、悪夢から目覚めて夢と現実の境界線もあいまいな状態で発狂していたとすれば、どんな行動に出ても不思議ではない気がするんですよね。
あと、通夜で滝沢先輩が取り乱していたのも、僕にはそんな不自然な光景とは思えませんでした。
湯川先輩が仮にシロだとすれば(まあ多分クロなんでしょうけど)、湯川先輩視点では朝顔の悪夢の件を打ち明けてきた滝沢の話を軽くあしらってしまい、ちゃんと相談に乗ってあげられなかったという悔恨があるはずです。
それならば、通夜で泣きながらパニックのような状態になるのも無理からぬことに思えます。
滝沢の死は事故ではない、からの、湯川先輩が犯人・・・の流れがいまいち根拠としては薄かったんじゃないかなと思いますね。それよりかは、「若竹七海」の推理のほうがまだ物語としては説得力があったようなw
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